讨鬼传:终极 全人物角色图鉴一览

时间:2016-06-27 来源:88130安卓下载 作者:佚名

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  (ひみこ)卑弥呼

  古代の政治家。邪馬台国の女王。倭国の大乱を鎮め、180年前後に即位。鬼道で政治を行った。高齢で独身だったという。魏に使いを送り、その属国となって金印を与えられている。

  (いよ)壱与

  古代の政治家。邪馬台国の女王・卑弥呼の親族でその後継者。曹操が建てた魏が、司馬一族の晋に取って代わられた翌年、晋に朝貢した。晋代に著された歴史書『三国志』にその名が見える。

  (にみのすくね)野見宿禰

  古代の政治家。出雲の勇者。相撲、柔術の祖といわれる。垂仁天皇のころ、当麻蹶速(たいまのけはや)という怪力無双の相撲の名手と相撲を取り、勝利。その褒賞として領地を賜った。

  (たけのうちのすくね)武内宿禰

  古代の政治家。蘇我氏など大和朝廷の豪族の祖先。景行天皇から仁徳天皇まで5代に渡り重臣として国政を支えた。ヤマトタケルの東征に先だって北陸、東国を視察し、蝦夷討伐を献策。

  ヤマトタケル

  古代の武将。景行天皇の子。倭建、日本武尊などと表記される。『古事記』によると、武勇に優れるあまり兄を殺して外征に追いやられたという。

  イズモタケル

  古代、出雲国の人。クマソタケルを討伐し都へ戻る途上のヤマトタケルの策によって殺害された。

  クマソタケル

  古代の人物。西国最強を自称した兄弟2人の呼称。カワカミタケルとも。ヤマトタケルの武勇を讃え「タケル」の名前を贈った。大和朝廷に反抗しヤマトタケルの討伐を受ける。

  ヤマトヒメ

  古代の皇女。第11代垂仁天皇と日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の娘。第10代崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)の後を継ぎ、杖代(みつえしろ)として天照大神に奉仕する。

  オトタチバナヒメ

  古代の女性。ヤマトタケルの妻。『常陸風土記』ではヤマトタケル天皇の皇后と記されている。ヤマトタケルの東征に同行。

  (そとおりひめ)衣通姫

  古代の伝説の女性。その美しさが衣を通して輝くことからその名がついた。絶世の美女で本朝三美人の一人に数えられる。



  (ささきどうよ)佐々木導誉

  鎌倉末期から南北朝時代の政治家。幕府執権北条高時の側近だったが、のち足利尊氏に従い倒幕に活躍。南北朝の動乱、政争をしたたかに生き抜き、室町幕府2代将軍・足利義詮の時代には政所執事を務めた。

  (にったよしさだ)新田義貞

  鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。源義家の子孫の出だが上野国で冷や飯を食わされていた。執権北条家御内人からのいじめともいうべき徴税に怒り、挙兵。稲村ヶ崎で太刀を龍神に捧げて海から鎌倉を攻略、幕府を滅ぼす。

  (せっしゅう)雪舟

  室町時代中期の芸術家。禅僧。水墨画家。作庭家。周防の守護大名・大内氏の庇護を受け、明へ渡り、水墨画を学ぶ。雪舟独自の画風を確立し、後世の日本画に大きな影響を与えた。

  (ももたろう)桃太郎

  昔話に登場する人物。桃から生まれたとされるほか、桃を食べて若返った老夫婦の実子とされることもある。出典によって内容は様々だが、犬、猿、キジにキビ団子を与えて家臣とし、鬼ヶ島で鬼退治に成功、財宝を得て帰還したとする話が一般的。

  (いっすんぼうし)一寸法師

  室町時代後期に成立の『御伽草子』の登場人物。身長が1寸(約3cm)だった。お椀の舟に箸のかいで京に上り、針の刀で姫君を襲った鬼を撃退。その鬼の宝である打出の小槌で6尺(約180cm)に成長し、姫君と結婚。

  (ときわごぜん)常盤御前

  平安時代末期の女性。源義朝の側室。阿野全成(今若)、義円(乙若)、源義経(牛若)の母。平治の乱で義朝が敗死すると、三児の助命のため、自らの命を捨てる覚悟で六波羅に出頭。

  (みなもとのためとも)源為朝

  平安時代末期の武将。源頼朝らの叔父。最強の射手。弓を引くのに特化した腕は左腕が右腕より12cm長かった。その破壊力は一矢で軍艦を沈め、その射程距離は伊豆七島から射て鎌倉まで届くほどだった。

  (あのやすこ)阿野廉子

  鎌倉時代後期から室町時代初期の女性。新待賢門院、三位局とも呼ばれる。中宮・西園寺禧子の女官であったが、禧子を差し置いて後醍醐天皇に寵愛され、後村上天皇を生んだ。

  (もうりもとなり)毛利元就

  戦国時代の武将。謀神の異名を取る知略の持ち主で、安芸国の小領主から、200以上という世界でもまれに見る数の合戦を経て、中国地方の大半を支配する大大名に成り上がった。

  (たけだしんげん)武田信玄

  戦国時代の武将。甲斐の戦国大名。戦国最強といわれる武田騎馬軍団を率いて、信濃、上野、駿河、遠江に勢力を伸ばし、越後の戦国大名・上杉謙信と川中島で五度に及ぶ合戦を繰り広げた。



 

  (うえすぎけんしん)上杉謙信

  戦国時代の武将。越後の戦国大名。毘沙門天の化身と呼ばれる戦術家。内乱状態だった越後を統一し、上野、越中、能登に勢力を伸ばした。甲斐の戦国大名・武田信玄とは信濃を巡って対立し、五度に渡って川中島で決戦を繰り広げた。

  (やまもとかんすけ)山本勘助

  戦国時代の武将。武田信玄の伝説的軍師。信濃攻略に活躍。信濃の大名・村上義清の逆襲で武田軍が総崩れになると、「破軍建返し」で反撃、勝利した。分国法「甲州法度之次第」制定を献策。

  (なおえかねつぐ)直江兼続

  安土桃山時代の武将。上杉氏の家老。上杉景勝の側近として権力を振るい、死ぬまで上杉家で独裁政権を敷いていた。家中の争乱で疲弊していた上杉家を建て直し繁栄に導いた。

  (おだのぶなが)織田信長

  戦国時代から安土桃山時代の武将。尾張国の小大名家に生まれる。中京地域の経済圏を掌握し、その経済力を背景に近畿地方へと勢力を拡大。将軍を追放して室町幕府を滅ぼした。

  (さいとうどうさん)斎藤道三

  戦国時代の武将。下克上の体現者。僧侶から油売りとなり、その後、武士となり、美濃国の大名家・土岐家の内紛で活躍して出世。最後には土岐家を追放して、一台で大名に成り上がったという。

  (あけちみつひで)明智光秀

  戦国時代から安土桃山時代の武将。織田信長の家臣だったが謀反を起こし、本能寺の変で主君・信長を討ち果たす。その後、畿内の支配を進めたが、山崎の戦いで信長家臣・羽柴秀吉に敗北。

  (のうひめ)濃姫

  戦国時代の大名・斎藤道三の娘。名は帰蝶。美濃出身であるため、「濃姫」と呼ばれた。斎藤家と織田家が同盟した際、織田信長に嫁ぎ、道三死後、信長が斎藤領を攻略する大義名分の役割を担った。

  (おいち)お市

  戦国時代の女性。織田信長が最も可愛がった妹。戦国一の美女と名高い。一説に従妹とも妻だともいう。茶々、江は娘。信長の娘として他家に嫁いだが、嫁ぎ先が突然裏切り、信長に滅ぼされる。

  まつ

  戦国時代の女性。織田信長が最も可愛がった妹。戦国一の美女と名高い。一説に従妹とも妻だともいう。茶々、江は娘。信長の娘として他家に嫁いだが、嫁ぎ先が突然裏切り、信長に滅ぼされる。

  (まえだけいじ)前田慶次

  戦国時代から安土桃山時代の武将。いたずら者として有名で、叔父・前田利家をだまして水風呂に入れたり、豊臣秀吉の前で猿まねの踊りをやったりした。一方で勇将としても知られた。



  (しょうとくたいし)聖徳太子

  飛鳥時代の政治家。用明天皇の子。名を厩戸皇子という。叔母・推古天皇の摂政となる。馬屋で生まれ、十人の話を一度に聞き分け、未来予知ができたという伝説を持つ。仏教に傾倒。

  (そがのうまこ)蘇我馬子

  飛鳥時代の政治家。大臣。蘇我氏は仏教受容を巡って反仏教派の物部氏、中臣氏と争ってきたが、皇位継承戦争で物部守屋を討ち、政争に勝利。

  (とじこのいらつめ)刀自古郎女

  古代の女性。父は蘇我馬子。母は物部守屋妹。聖徳太子の妃となり、山背大兄王らをもうけた。この山背大兄王は、のち刀自古の甥である蘇我入鹿と対立して暗殺され、聖徳太子の一族は滅ぼされてしまった。

  (もののべのもりや)物部守屋

  飛鳥時代の政治家。大連(大臣)。軍事氏族物部氏を率いた。仏教受容派の蘇我馬子と対立。折からの疫病を、国神をないがしろにし仏教を受容したせいだと弾劾。尼僧3人を全裸にして群衆の前で鞭打った。

  (おののいもこ)小野妹子

  大和時代の政治家。推古天皇の時代、聖徳太子より遣隋使に任じられる。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まる国書が煬帝の怒りを買ったが、大事には至らず帰国。

  (なかのおおえのおうじ)中大兄皇子

  飛鳥時代の政治家。のち即位して天智天皇となる。唐、新羅の攻勢に緊迫する朝鮮半島情勢を背景に、645年、時の権臣・蘇我入鹿を暗殺。中央集権化、国防強化を柱とした政策・大化の改新を推し進めた。

  (なかとみのかまたり)中臣鎌足

  大和時代末期の政治家。大和国にあった藤原という地で生まれた。出生時に白い狐が現れ鎌を足下に置いたことから、鎌子と名付けられたという。秀才として名高かった。

  (そがのいるか)蘇我入鹿

  飛鳥時代の政治家。蘇我宗家の家督を継ぎ、政敵を排除して国政を一手に掌握。天皇家を凌駕するほどの権勢を誇った。しかし、乙巳の変で中大兄皇子、中臣鎌足らに暗殺され、蘇我宗家は滅亡した。

  (ぬかたのおおきみ)額田王

  飛鳥時代の歌人。鏡王(かがみのおおきみ)の娘。天武天皇(大海人皇子)に寵愛され、十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだ。のちに天武天皇の兄・天智天皇(中大兄皇子)の後宮に入ったとされる。

  (かきのもとのひとまろ)柿本人麻呂

  飛鳥時代の政治家。『万葉集』第一の歌人。「歌聖」と称される。格調高い歌風で枕詞を駆使し、140あまりある枕詞のうち半数ほどは彼がはじめて使用したものとされる。



  

  (じょふく)徐福

  中国の秦朝の頃の人。司馬遷の『史記』によれば、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と持ちかけ、資金援助を受けて東方へ船出し、平原広沢(広い平野と湿地、一説に日本とされる)を得て王となったとある。

  (えんのおづぬ)役小角

  飛鳥時代の思想家。修験道の開祖。神仏調和を唱え、のち神変大菩薩と諡され信仰を集めた。その生涯は伝説に彩られている。鬼神を操ることができ、左右に前鬼後鬼を従えていたという。

  イザナギ

  日本神話の男神。イザナミと結婚し、子として日本国土ほか様々な神をもうけた。イザナミが死ぬと、黄泉の国まで会いに行くが、イザナミを見てはならないという禁を破って彼女の怒りを買い、命からがら逃げ出す。

  イザナミ

  日本神話の女神。創造神、海神、製鉄の神。イザナギの妻で、共に日本列島などを形成する様々な神々を産み出すが、その途中、事故で死んでしまう。

  アマテラス

  日本神話の女神。太陽神。別名、オオヒルメノムチ。中世には男神とされたこともある。イザナギが黄泉から戻ってきてみそぎをしたときに、弟のツクヨミ、スサノオと共に生まれた。

  ツクヨミ

  日本神話の神。月と夜を統べる。『古事記』では、イザナギが死んだ妻・イザナミを取り戻そうと黄泉に入り、黄泉醜女に追われ逃げ帰った際、みそぎをしたときに右目から生まれたとされる。

  スサノオ

  日本神話の神。イザナギとイザナミの子。アマテラスやツクヨミの弟。出雲でヤマタノオロチを退治し、天叢雲剣を手に入れ、日本最初の和歌を詠んだ。また体毛からさまざまな樹木を創り出したという。

  (いぬがみのみたすき)犬上御田鍬

  飛鳥時代の政治家。名は三田耜とも書く。近江国犬上郡にゆかりのある豪族で、ヤマトタケルの子孫とされる。7世紀初頭、推古天皇の治世に、最後の遣隋使として隋に遣わされ百済の使者を伴って帰国した。

  (あべのひらふ)阿倍比羅夫

  飛鳥時代の武将。7世紀中ごろ、蝦夷討伐のため、180隻の軍船を率いて日本海を津軽などを経て北上。蝦夷を大和朝廷の傘下に収め、北海道に至る通商航路を開いた。

  (うらしまたろう)浦島太郎

  昔話に登場する人物。漁師。浜辺で助けた亀に、海底の竜宮城へ招待され、その主である乙姫と楽しく過ごすが、地上に戻ると長い年月が経っていた。



  (やまのうえのおくら)山上憶良

  奈良時代初期の政治家。歌人。遣唐使として唐に留学。のち筑前国の国司として赴任。そこで多くの歌を詠み、大伴旅人と共に筑紫歌壇を築いた。

  (どうきょう)道鏡

  奈良時代の政治家。法相宗の仏僧。孝謙上皇の病を治して、その寵愛を受ける。藤原仲麻呂の乱で、政敵・藤原仲麻呂が失脚し、孝謙上皇が称徳天皇として再び即位すると、法王として仏教的政策を推し進めた。

  (がんじん)鑑真

  奈良時代の仏僧。律宗の開祖。日本から来た僧の懇請を受けて日本渡航を決意。5度密航を試みるも、嵐や人材流出を危ぶんだ弟子たちの告発により失敗。6度目でついに念願の渡航を果たし、日本に戒壇を設置した。

  (さかのうえのたむらまろ)坂上田村麻呂

  平安時代初期の政治家。東北地方の蝦夷征服戦で活躍。歴代2番目の征夷大将軍に任じられた。後世、その武勇が伝説を生み、東北の鬼の王・悪路王を討ち取る物語が生まれた。

  アテルイ

  平安時代初期の武将。蝦夷の指導者。789年、陸奥北上川流域・日高見国胆沢で、征東大使・紀古佐美が率いる蝦夷への大規模侵攻軍を、少数の兵で翻弄して討ち破り、撤退に追い込んだ。

  (くうかい)空海

  平安時代初期の仏僧。死後贈られた弘法大師の諡号で有名。無名の学僧でありながら当天皇の護持僧であった最澄と並んで入唐。密教を日本に伝え、真言宗の開祖となり、平安仏教の流れを築いた。

  (おののこまち)小野小町

  平安時代初期の歌人。勅撰和歌集として編纂された『古今和歌集』の序文に、六歌仙の一人として挙げられている。来歴は不明だが、絶世の美女として逸話が残されている。

  (きのつらゆき)紀貫之

  平安時代前期の政治家。文才に優れ、歌人として有名。三十六歌仙に数えられる。醍醐天皇の勅命で日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』を編纂した。

  (すがわらのみちざね)菅原道真

  平安時代中期の政治家。学者。秀才で、当時藤原氏が独占していた政権に食い込み、政治を担った。遣唐使を廃止したことから、その後、国風文化という日本独自の文化が花開いた。

  (たいらのまさかど)平将門

  平安時代中期の武将。下総国出身。相続争いから平将門の乱を起こし、新皇を称して朝廷からの東国の独立を宣言。藤原秀郷らに討伐された。死後、京でさらし首にされたが、その首が関東を目指し飛び去ったという。



  (ふじわらのすみとも)藤原純友

  平安時代中期の武将。武芸に優れた下級貴族の出身。近畿から北九州にわたる瀬戸内海で海賊行為を働いた。同時期、東国で平将門が乱を起こしており、まとめて承平天慶の乱と呼ばれる。

  (ふじわらのひでさと)藤原秀郷

  平安時代中期の武将。下野国出身。武芸に優れ、説話では「俵藤太」の異名で知られる。朝廷に反抗し討伐対象にされていたが、平将門の乱鎮圧で功があり昇進、鎮守府将軍となる。

  (あべのせいめい)安倍晴明

  平安時代中期の陰陽師。藤原道長の信頼を得て安倍家は陰陽師の家としての地位を確立、その権威は明治時代まで続いた。母が白狐・葛の葉であったなど、神秘的な伝説を多く残す。

  (あしやどうまん)芦屋道満

  平安時代中期の陰陽家。播磨国出身。安倍晴明と並ぶ陰陽師で、そのライバル。時の権力者・藤原道長を呪詛するが、晴明に見破られて流刑となった。

  (かものただゆき)賀茂忠行

  平安時代中期の政治家。陰陽家。安倍晴明の師。菅原道真の献策で遣唐使が廃止され、唐から最新の技術を学べず衰退していた陰陽道を呪術として再構築し、陰陽寮で天文道、陰陽道、暦道を掌握、賀茂氏、安倍氏による独占を成し遂げた。

  (せみまる)蝉丸

  平安時代前期の芸術家。歌人。音楽家。生まれついて目が不自由であったことから逢坂関に庵を結んで隠棲していた。琵琶の名器「無名」の演奏者でもある。

  (みなもとのひろまさ)源博雅

  平安時代中期の政治家。醍醐天皇の第一皇子の長男だったが、父の早世により、臣籍に降下する。雅楽の名手。『長慶子』を作曲、年下の叔父である村上天皇の勅で『新撰楽譜』を選んだ。

  (みなもとのよりみつ)源頼光

  平安時代中期の武将。藤原道長に仕え、受領として各地の国司を歴任。財力を蓄え、清和源氏興隆の基礎を築いた。彼の弟・頼信の子孫には征夷大将軍となる源頼朝や源義経がいる。

  (わたなべのつな)渡辺綱

  平安時代中期の武将。先祖は光源氏のモデルとなった嵯峨源氏の源融。眉目秀麗な美男子であり、剛勇でも知られた。源頼光に仕え、坂田金時らと並んで頼光四天王に数えられ、その筆頭を務めた。

  (さかたのきんとき)坂田金時

  平安時代中期の武将。幼名を金太郎といい、山姥を母に、雷を父に生まれた。怪力を誇り足柄山で熊と相撲を取っていたことで有名。源頼光に仕え、頼光四天王の一人に名を連ねた。



  (ふじわらのみちなが)藤原道長

  平安時代中期の政治家。3人の娘を3人の天皇の皇后(中宮)とし、摂政として権力をほしいままにして摂関政治の絶頂期を築いた。豪胆な人物で、自分に反発した三条天皇を退位させたほど。

  (むらさきしきぶ)紫式部

  平安時代中期の女房。『源氏物語』の著者。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。漢学者で詩人でもある藤原為時を父に持ち、幼少より学才に優れていた。一条天皇の中宮・彰子に仕えた。

  (せいしょうなごん)清少納言

  平安時代中期の芸術家。文筆家。歌人。曽祖父は『古今和歌集』で有名な清原深養父。中宮定子(藤原道長の政敵の姉)に仕えて、その博学と才気煥発さで宮中に名を成した。随筆『枕草子』は日本三大随筆の一つである。

  (いずみしきぶ)和泉式部

  平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。越前守・大江雅致の娘。和泉守・橘道貞に嫁ぎ、共に和泉国に下る。のち、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕した。

  (すずかごぜん)鈴鹿御前

  平安時代の伝説上の女性。名は鈴鹿姫、立烏帽子(たてえぼし)とも。一般に、鈴鹿山に住んでいた美貌の鬼女とされる。伝承によって鈴鹿御前の立場は異なり、女盗賊や天女とされることもある。

  (たきやしゃひめ)滝夜叉姫

  平安時代中期の女性。平将門の娘で、元の名は五月姫。江戸時代の通俗史書『前太平記』に登場するが、モデルは将門の三女・如蔵尼とされる。

  (ひかるげんじ)光源氏

  『源氏物語』の主人公。桐壺帝の子として生まれるが、母は宮中の嫌がらせを受け早世。彼も後ろ盾がなかったため、臣籍に降下させられた。亡き母の面影を求め、女性遍歴を重ねつつ、宮中でのし上がっていく

  (おおのやすまろ)太安万侶

  奈良時代の政治家。8世紀初頭、元明天皇の命により、日本最古の歴史書『古事記』を編纂した。その後、日本最古の正史『日本書紀』の編纂にも関わったといわれる。

  (さいちょう)最澄

  平安時代初期の仏僧。渡唐して天台教学を修め、日本天台宗を開く。奈良の寺社勢力の政治的影響力を排除しようとしていた桓武天皇と協力。旧仏教が独占していた戒壇を比叡山に開き、僧になる道を別に作り上げようと尽力した。

  (さいぎょう)西行

  平安時代末期から鎌倉時代初期の芸術家。仏僧。歌人。武士だったが、友の死、あるいは失恋がきっかけで出家。隠棲と漂泊の旅の中寂寞に叙情を読み込んだ秀歌を多く残した。



  (かぐやひめ)かぐや姫

  奈良時代初期が舞台とされる日本最古の物語『竹取物語』の主人公。竹の中から9cmほどの大きさで誕生し、3カ月で妙齢の娘に成長した。大変美しく、常に発光していた。

  (くずのは)葛の葉

  伝説の狐。信太妻とも。平安時代初期の頃、森で猟師に追われていたところを男に助けられるが、男は猟師に怪我を負わされた。葛の葉は人間に化けて男を介抱してやり、やがて恋に落ちる。

  (たいらのきよもり)平清盛

  平安時代末期の政治家。伊勢平氏棟梁・平忠盛の子。白河法皇の寵姫・祇園女御の猶子となり、その力を背景に父の死後、平氏の棟梁となる。院政下の権力闘争である保元・平治の乱で急速に台頭。

  (かものちょうめい)鴨長明

  鎌倉時代初期の芸術家。随筆家、歌人。「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」で始まる随筆『方丈記』が有名。下鴨神社の禰宜の次男として生まれ、就職に失敗して隠棲。

  (たいらののりつね)平教経

  平安時代末期の武将。清盛の甥。「王城一の強弓精兵」と称された平家最強の武人。壇ノ浦の戦いでも義経を追い詰めるが八艘跳びで逃げられ三十人力の武者二人を道連れに抱いて入水、討死したという。

  (たいらのあつもり)平敦盛

  平安時代末期の武将。平清盛の甥。美少年にして笛の名手。「小枝」という名笛を持つ。平家没落の際、一ノ谷の合戦で敗走時、置き忘れた笛を取りに帰って討ち取られ、17歳で命を散らした。

  (みなもとのよしつね)源義経

  平安時代末期の武将。幼名は牛若丸。源氏棟梁の兄・源頼朝の代官として、西国平定、朝廷との折衝を担当した。戦略センスに優れており、近畿の武士を取り込んで木曽義仲を孤立させて粟津の戦いで破り、四国、西国の武士を取り込んで平家を孤立させ、壇ノ浦の戦いで滅ぼしている。

  (べんけい)弁慶

  平安時代末期の武将。僧兵。源義経と共に都落ちした家臣の中にその名が見える以外は一切が不明だが、後世、義経の忠臣として伝説化された。

  (しずかごぜん)静御前

  平安時代末期の女性。舞踏家。男装して巫女舞を舞う白拍子。日照りの際、静が舞うと黒雲がわいて雨が降り注いだため、時の法皇から「日本一」「神の子か」と言われている。

  (みなもとのよりとも)源頼朝

  平安時代末期から鎌倉時代初期の政治家。鎌倉幕府初代将軍。幼名は鬼武者。源氏の棟梁の家に生まれる。東国の支配者である征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開いた。



  (ほうじょうまさこ)北条政子

  鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室。伊豆の豪族・北条時政の長女。頼朝の将軍在職中は御台所、死後に出家して尼御台と呼ばれた。後に後継者を迎えるが、実権は政子が握ったため、尼将軍と称された。

  (きそよしなか)木曽義仲

  平安時代末期の武将。源頼朝の従兄弟にあたる。眉目秀麗だが、振る舞いが粗暴だったという。平家十万の軍勢を討ち破り、ついには平家を京から追放した。

  (ともえごぜん)巴御前

  平安時代末期の女性。木曽義仲の妾。中原兼遠の娘、樋口兼光、今井兼平の妹であるという。武勇に秀でており「強弓精兵、一人当千の兵者」と評される。義仲に従って各地を転戦した。

  (なすのよいち)那須与一

  平安時代末期の武将。下野国の豪族。弓の名人。源平の戦いに源氏方で参戦。源義経の下で従軍する。屋島の合戦で、平家方が舟に掲げた扇の的を見事に射落としたことで有名。

  (はたけやましげただ)畠山重忠

  平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。模範的で謹厳実直な「板東武士の鑑」。傲慢不遜な梶原景時と比べ「雲泥の差」と言われた。怪力でも知られ、源平の戦いで大活躍。

  (かじわらかげとき)梶原景時

  平安時代末期の政治家。はじめ平家方に属していたが、石橋山の戦いで敗れて洞窟に隠れていた源頼朝を見逃して頼朝の信頼を得、のちにその第一の腹心となった。源義経に属し平家討伐に活躍。

  (ほうじょうときむね)北条時宗

  鎌倉時代中期の政治家。得宗家(執権北条家本家)に生まれる。元寇の脅威が迫る中、執権となる。二月騒動でライバルとなる北条一族を粛清。2度の元寇を退けて国難を救ったが、間もなくして病死した。

  (あしかがたかうじ)足利尊氏

  室町幕府初代征夷大将軍。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒のため挙兵すると、幕府の討伐軍司令官に任じられたが、寝返って六波羅探題を攻撃した。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇を追放し、北朝を立てた。

  (くすのきまさしげ)楠木正成

  南北朝時代の武将。「悪党」と呼ばれた河内の豪族。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒のため挙兵すると蜂起。幕府の大軍を翻弄して倒幕の気運を盛り上げ、ついに鎌倉幕府は滅びるに至った。

  (よしだけんこう)吉田兼好

  鎌倉時代末期から南北朝時代の思想家。随筆家として有名で、鎌倉時代末期、「つれづれなるままに」の始まりで有名な、日本三大随筆の一『徒然草』を著した。また歌人としても優れていた。



  (あしかがよしみつ)足利義満

  室町幕府3代将軍。室町幕府最盛期を築く。有力守護大名討伐や直属軍・奉公衆の設置などで幕府権力を強化し、南北朝の合一を果たす。また鹿苑寺金閣を建て、武家と公家が融合した北山文化を花開かせた。

  (あしかがよしまさ)足利義政

  室町幕府8代征夷大将軍。将軍の復権を目指して精力的に動いたが、側近や有力守護大名の介入などで軋轢が生じ、応仁の乱が発生。世は戦国時代へと突入した。「東山文化」と呼ばれる様式を築く。

  (ひのとみこ)日野富子

  室町時代後期の女性。室町幕府8代将軍・足利義政の正室。父は日野重政、母は北小路禅尼。後継ぎの男子が生まれず、弟の義視を後継者に立てたが、のち義尚が生まれたことで、応仁の乱が勃発する。

  (いっきゅう)一休

  室町時代中期の仏僧。臨済宗大徳寺派住持。カラスの鳴き声を聞いて大悟する。皇室とも関係が深かった民衆にも愛され、「このはしわたるべからず」などの一休とんち話が生まれた。

  (ぜあみ)世阿弥

  室町時代初期の思想家。猿楽師。父・観阿弥と共に猿楽(のちの能楽)を大成させ、観世流を興した。12歳の時、その美しさが時の将軍・足利義満の目にとまり、厚い庇護を受ける。

  (たまものまえ)玉藻前

  平安時代末期の伝説上の美女。白面金毛九尾の狐が化けた姿で、美貌と博識から鳥羽上皇に寵愛される。上皇が病に倒れたことで、陰陽師・安倍泰成は玉藻前の正体を看破。討伐軍によって射殺された。

  (きいちほうげん)鬼一法眼

  平安時代末期の教育者。陰陽師。剣術家。すべての剣術の源流である京八流の開祖。兵法書『六韜』を所持しており、それを会得したいと臨んだ源義経は、法眼の娘を籠絡して『六韜』を盗み見たという。

  (しゅんてん)舜天

  13世紀初期の伝説的な琉球王。初代琉球国王。浦添の按司(領主)だったが、天から遣わされた神の子孫の王朝・天孫氏を滅ぼした利勇を討伐して琉球を統一し、舜天王統を開いた。

  (みなもとのよりまさ)源頼政

  平安時代末期の武将。頼光の玄孫。妖怪・鵺(ぬえ)を退治した伝説がある。平治の乱では、仕えていた二条天皇が源義朝側にいたため源氏側に属したが、天皇が平清盛側に味方すると共に寝返る。

  (うんけい)運慶

  鎌倉時代初期の芸術家。仏像彫刻家。快慶と並ぶ鎌倉時代の仏師の代表。奈良興福寺の仏師の流れを汲む。男性的な力強い作風が特徴で、武士の間で人気があった。



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